外食産業とJF
外食産業に対する社会の要請は、時代に合わせてさまざまに変化してきました。
その変化に柔軟に対応しながら、外食産業の発展・地位向上に貢献してきたJFの歴史をご紹介します。
1960年以降、日本高度経済成長とともに伸張した外食産業。外食レストランチェーンが世に生まれたのもこの頃です。
69年の第2資本の自由化を機に、本格的な産業として発展。
外食産業元年とも言われる70年には、大阪万博のパビリオンに「ケンタッキーフライドチキン」が出店し、同年、
日本初のファミリーレストラン「すかいらーく」が登場。人々の注目を浴びました。
71年には「マクドナルド」「ミスタードーナツ」の第1号店がオープンし、ファーストフードの画期的な調理方法や合理的な
サービスがマスコミでも話題に。こうして日本の外食シーンは大きく動きだしました。
ーJFの歩みー
71年、JFの前身であるFSCA(Food Service Chain Association=フードサービスチェーン協会)を設立。
飲食店業界のチェーン化を目指した企業が集い、企業同士で協力し合いながら個々の成長を目指してい成長期へと舵をきりました。
- JFの母体となったFSCAの機関誌第1号
外食産業元年以降、女性の社会進出や人々の生活水準の向上などに後押しされ、ファーストフード、ファミリーレストランなどが続々と登場。73年の第1次オイルショックも乗り越えて順調な成長を続け、80年には業界目標とされていた10兆円を遥かに超える、市場規模14兆円産業へと成長を果たしました。
技術面でも、セントラルキッチンの建設やマニュアルの登場により、均一な商品・サービスの提供が可能になるなど、外食産業の礎が築かれたのもこの時期にあたります。80年代後半に入るとバブル景気に伴い市場規模は20兆円を越え、百貨店業界を凌駕するまでに成長していきました。
ーJFの歩みー
農林水産省の認可を受け、 1974年に外食産業の業界団体として社団法人日本フードサービスチェーン協会(現:社団法人日本フードサービス協会)が設立されました。外食産業で働く人々の福利厚生を充実させる「外食産業ジェフ厚生年金基金」「全国外食産業ジェフ健康保険組合」の設立など、外食産業をさまざまな角度からサポート。今日では、「JF愛の募金」をはじめ外食産業に留まらない活動を推進しています。84年に、日本初の大規模な外食産業フェスティバル「ジャパンフードサービスショー」を開催。同年「愛の泉募金(現:JF愛の募金)」活動と「外食の日」キャンペーンもスタートしました。
外食産業の急成長でJFの活動も多岐に渡り、国際的な認知も高まっていきました。88年には、農業問題への提言として「外食産業から農業者へのメッセージ」を発表、大きな反響を呼びました。
- 第1回ジャパンフードサービスショー会場前
90年代に入ると、バブル崩壊後の景気低迷などにより外食産業の成長スピードも鈍化。
このような社会情勢に対応し各社業態の転換が盛んとなり、低価格路線が浸透していったのがこの時期にあたります。
一方、テイクアウト(弁当・寿司・総菜)やピザ宅配などの中食マーケットが伸張。市場が大きな転換を迫られる中で、外食産業はホスピタリティ産業であるとの意識が高まり、食の質・サービスの見直しもはじまっていきました。
ーJFの歩みー
92年、人々の生活に新たな形で外食が根ざしていくことを目指して『全国共通食事券ジェフグルメカード』の発行がスタート。
世界規模での環境問題への関心の高まりから、93年には「外食産業の環境問題に関する行動指針」を発表。
JFが果たす社会的な役割も拡大していきました。
- ジェフグルメカード発売告知 店頭ステッカー
90年代後半になると、外食産業界には新たな課題が生まれます。95年に阪神淡路大震災が発生、96年にはO-157が猛威をふるい、業界の売上げにも大きく影響しました。この2つの出来事により、外食産業は「危機管理」「食の安全」に徹底して取り組みはじめました。
市場の構造としては、97年の消費税の引き上げの傍ら、テイクアウトやデリバリーなどの分野の売上げがさらに増加。
消費者が健康・安全・おいしさなどにこだわる志向に後押しされ、有機栽培農産物などの食材利用が活発になっていきます。
さまざまな社会問題や人々の価値観の変化は、外食産業の構造や考え方を、大きく変化させるきっかけとなりました。
ーJFの歩みー
95年に発生した阪神淡路大震災では、義援金計1億円を寄贈。同年、外食産業の研究機関として「日本フードサービス学会」を設立。96年にはO-157対策として、衛生管理の徹底と食材の安全確認を促し、発生予防に周知を図りました。
97年には、JF関連5団体が結集し「JFセンター」を設立、ブロック協議会を発足するなど、変化する時代の中で外食産業界全体の活性化に取り組んでいきました。
- 阪神淡路大震災での炊き出し
21世紀に入り、人々のライフスタイルが激しく変化する一方、食への信頼を揺るがす問題が次々と起こりました。2001年、我が国初のBSE(牛海綿状脳症)が発生。その後、米国での発生で牛肉の輸入が停止。02年には食品の偽装や虚偽表示、無認加添加物の使用、残留農薬問題、 04年には鳥インフルエンザ発生など、食の安全性が揺らぐ出来事が立て続けに起こりました。社会的な食への注意・関心の強まりの中で、「食育」や「スローフード」など、新たな考え方も登場。
外食に関しても、健康志向・本物志向・手作り志向・グルメ志向など多様な価値観が生まれています。
人々の生活にとって、食がいかに大切なものか、市場規模24 兆円にのぼる外食産業が日本人の食生活で果たす役割について、もう一度見つめ直す時代に入っています。
ーJFの歩みー
2000年、インターネット上での食材・食品情報システム「JFフーズインフォマート」事業をスタート。
01年からはじまったBSE問題に関しては、リスクコミュニケーション活動などの対策を展開しました。03年、外食企業と農畜水産業を結ぶ「JFフードサービスバイヤーズ商談会」をスタートし、外食産業と農畜水産業の連携の強化に力を入れていきます。04年、JF創立30周年記念事業として、「第10回ジャパンフードサービスショー」を開催。過去最高の規模となりました。06年より飲酒運転防止、08年には商品表示とコンプライアンスについての取り組みも開始。09年創立35周年を迎えたJFは、外食産業のグローバル化や食への信頼の回復、雇用の創出など、今後も外食産業を通して社会の発展を支援していきます。
- 輸入牛肉の関税緊急措置発動に関する反対集会